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五木寛之氏朝日ホール特別講演会(朝日新聞社共催)シリーズ

公開講座「五木寛之講演会」
         
作家・五木寛之氏が「人間の関係」を語る

   (2008年1月24日(木)14:00〜15:30 朝日新聞名古屋本社15F)

今、何故、何を・・・カルチャーがつくりだそうとするものは
(担当者のお礼のごあいさつから)
 本日は、寒い中に朝日カルチャーセンターの特別講座「五木寛之講演会」をご受講いただきましてありがとうございました。 
 朝日カルチャーセンターは今、実は毎日、試行錯誤の状態にあります。
といいますのも、さまざまな情報が、多くの情報が、しかも簡単に手に入る時代にカルチャーセンターが出来ることとは何なのだろうか、という原点を常に問われる時に至っているためです。
 まだまだ迷いも多いのですが、一つだけ、これは本や映像が持たないカルチャー独自の役割ではないかと気が付いたことがあります。それは、人の声で、じかに、人の心に響くような出会いの場をつくることではないかということです。
 では、どのような「ことば」を持った方をお迎えして、そのような場をつくるかと考えた時に、今、真っ先に、そして、どうしてもお願いしたいと思ったのが五木寛之さんです。おかげさまで開講させていただくことができました。どうぞ今日は最後までごゆっくり五木さんのことばをお聞きください。

作家五木寛之氏が「人間の関係」を語る

 年間自殺者は3万人を超え、しかもその数の記録は日々更新されている。自殺者の数はそのむこうに約300万人の人が死にたいと思って生きていることも示し、平和に見えて、見えない戦争の真っただ中。そんな時代に私たちは生きているのだ。

 どうしたら生きていけるのだろうか。昨今、「鬱」「うつ病」また「心療内科へ行く」といった言葉が流行語のように取り交わされている。まず「鬱」と「うつ病」は違うこと、うつ病は病だが、鬱はそうではないことをはっきり認識すべきである。

 鬱=悪とマイナスの意味に受け取られがちだが、決してそうではないと思う。「鬱然たる人」「鬱蒼とした森」といった言葉にもあるように、鬱の第一義は、草木から生き生きと盛り上がるエネルギー、生命力にあふれた状態をあらわす。つまり、鬱を感じるということは、エネルギーが内側にあふれており、このような病んだ時代では出口を失って圧迫されている、生命力のゆらぎを感じる、ということなのだろう。逆に言えば、こんな時代に、プラス思考だけで生きていくのは危険。日々の暮らしの中で、萎えた心を何とか励ましながら、よろめきながら耐えて生きるには、鬱を抱いている方が自然なのではないか。

 鬱の中には、「憂」(うれえる)という思いが深くひそんでいるのではないか、と思う。そしてこれは極めて大切な感情のように思う。

 親子が殺しあう時代、冷たい人間関係、そのことを心から憂えつつ、自分の力ではどうするすべもない。「うつうつ」と思い悩み、深いため息をつく。一見、無気力に思われる感情の中に潜むこの最も人間的なエネルギーに気付いてみてはどうだろう。そしてどうすればいいのだろうか。どうすればこの悲しみに耐えていけるのだろうか。

 私は、真に悲しいときには、悲しみを内に閉じ込めるのではなく、「悲しい、悲しい」と言葉にすべきだと思う。それが集まれば歌になる。喜ぶことも大事だが、悲しむことも大事。笑うことも大事だが泣くことも大事。ほんとうに人間が泣くとはどういうことか、深い悲哀を感じることは人にとって極めて大切なことである。きちんと泣く、きちんと悲しむ。柳田国男の『涕泣史談』にもかつての日本人は、よく泣いた、という記述があるが、明るいことはよき事だという風潮の中であまりにもこの悲しみの哲学が置き去りにされていたのではないかと、現代日本人の一人として今、痛切に感じる。自分の中にある「悲」の存在を感じ、また、他の人の中のそれにも気が付くこと。この心のシナプスこそが、生きていく上では大切な人間の「関係」を生み出し、つらい暗い時代を生き抜いていく、しなやかな力になるのではないか。

 北陸では冬になるとよく庭園の樹木に「雪吊り」をして折れないように補強する。どんな枝にするのかと言えば、堅い枝、しならない枝に雪吊りをするのだ。

 しなうことによって、降り積む人生の重みを耐える。折れるのは弱い心ではなく、堅い心なのだ。
                       (講演要旨:文責 朝日カルチャーセンター名古屋)